问题04-23 加味
加味(かみ)采纳,掺入,放进(在某事物的基础上再加上)(1)
1.在我们公司,评价员工时不仅要看工作成果,工作态度也会考虑。
2.外国の文化が加味(輸入)されて、わが国の生活スタイルも徐々に変化してきた。
3.発表は以上ですが、最後に少しだけ加味(追加)させていただきます。
4.私は保存料や着色料を加味(添加)した食品はなるべく買わないようにしている。
问题04-13
解析:——木村前一阵还在大阪上班,听说这次要去北海道了。——他在大阪还没干满一年吧。
翻译
木村才刚调来大坂,结果听说又要调到北海道去了。
1.我觉得是时候去大阪了。
2.啊,原来不是转去大阪啊。
3.明明在大阪还待不到一年呢。
原文
木村さん、このあいだ大阪に転勤したと思ったら、今度は北海道だって。
1.そろそろ大阪じゃないかと思ったんだ。
2.へえ、大阪に転勤するんじゃなかったんだ。
3.大阪、まだ一年にもなってないのにね。
问题01-02 友人にピアノの伴奏を頼まれた。
友人にピアノの伴奏を頼まれた。(2)/被朋友委托弹钢琴伴奏。
1.はんそう 搬送(搬送,传送)
2.ばんそう 伴奏(伴奏)
3.はんそ 反訴(反诉,反告)
4.ばんそ (无此词,干扰项)
问题09-52
(1)
十年絵を描いてきて、最近になってようやく筆の止めどころがわかってきたかな、と思います。描きすぎずに筆を置くコツが少しずつわかってきた。
最初のうちは、筆が多くなるものなんです。描きたいという気持ちが強いだけに、まだ足りない、まだ足りないという気になって、どんどん描き足してしまう。だけど、それを無理してセーブすることはないと思います。やっぱり、①とことん行っちゃったほうがいいんですよ、何事も。
たとえば、空腹のときに腹一杯食べて満腹感というものを味わっておかないと、加減というものがわかりません。人間、満腹を知っているから、これはまだ五分(注1)腹八分といったらこの程度だという加減がわかる。一回とことんやってみることで、抑えることや、行きすぎないことの良さが初めてわかるものですからね。
(中略)
自分が描きたいモチーフそのものと対峙(注2)して、自分の感じたところで筆を進めている分にはいいんですが、客観的にそれを見て、ここが足りない、あそこが足りないと思って描き足してしまうと、止めどころがわからなくなってしまいます。それは、自分がどう見てどう感じたかという気持ちを素直に絵にするということとは違ってくる。②絵を説明してしまうことになる。そうすると、絵がうるさくなります。
客観的な眼を持つことも確かに大事なことではあるんですが、見たまま感じたままのストレートな気持ちを解説してはいけないと思うんです。
(片岡鶴太郎『鶴太郎流 墨彩画入門』による)
(注1) 五分:全体の50パーセント
(注2) 対峙する:向き合う
②絵を説明してしまうことについて、筆者はどのように考えているか。
正解:4絵を客観的に見て描き足しすぎるので、感じたままの気持ちが表現されなくなる。
解析:问题是:文中提到讲解画,作者是怎么认为的?
第四段作者提到以客观的目光来看自己所画的画,总觉得这也不足那也不足, 结果导致不停地画下去,这与描述自己所感的画不同,因此答案是选项4 “客观看自己所画的画导致画蛇添足,所以不能表现真实的感情”。
翻译
(1)
我觉得画了十年的画,却直到最近才多少明白了应该何时停笔。我逐渐掌握了避免画蛇添足的诀窍。
最开始画画的时候,下笔的次数总是越来越多。想画画的情感越强烈,越会觉得这幅画的内容还不够丰满,于是不断地添加新的内容。不过,我觉得人不应该抑制自己画画的欲望。无论干什么都应该把这件事干到底。
例如,在空腹的时候如果不吃到撑,体验一次饱腹感,就不知道自己吃多少合适。正因为一个人知道饱腹是什么感觉,才知道五分饱、八分饱分别是什么程度。只有在一次性做到底之后,才能明白适可而止、凡事都要有个度的好处。
(中略)
在面对自己想画的主题的时候,跟着自己的感觉走,画出自己想画的东西并没有问题。然而,站在客观角度上观察画面,觉得某些地方内容不够,需要补足新内容,往往导致自己不知道应该何时结束作画。这与诚实地遵从自己的感受去画画是不一样的。这样一来,画面会变得杂乱。
有一双客观的眼睛当然很重要,但我们不应该解析自己的直观感受。
(选自片冈鹤太郎《鹤太郎流 彩墨画入门》)
(注1) 五分:全体的50%
(注2)対峙する:面对
问题02-07 問題の再発防止のために、何度も会議を開いて対策を( )。
問題の再発防止のために、何度も会議を開いて対策を(3)。/为了防止问题的再次发生,多次召开会议推敲了对策。
1.培った(つちかう):栽培,培育:养成,培养
2.築く(きずく):修建,修筑:攒下,积累;确立
3.練る(ねる):推敲,努力使诗文或计划的内容与表达更完美
4.磨く(みがく):磨光,推敲:装饰
问题06-39 通勤に片道2時間かかる私みたいな ★ 人は本当にうらやましい。
解析:通勤に片道2 時間かかる私みたいな人間からすれば職場まで歩いて数分なんて人は本当にうらやましい。
像我这种上班单程就要花上两小时的人,真心羡慕那些走到公司才几分钟的人啊。
要点:关键在于如何接续题干中「人」,可以接的只有「なんて」(【连语】什么样的,什么的),确定第四格后,就很容易得出选项3 这个第三格的答案。
问题05-32 私は映画監督になる夢をかなえるために、一生懸命映像の勉強をしている、絶対に( )終わらせない。
解析:为了实现当一名电影导演的梦想,我在拼命学习拍摄。绝对不会让梦想止步。考察惯用的表达「夢を夢で終わる」,「で終わる」表示结束时的状态。
问题02-09 疲れると、甘いものがなぜか( )食べたくなる。
疲れると、甘いものがなぜか(2)食べたくなる。/累了的话,就会变得莫名的特别想吃甜的东西。
1.ひたむきに(直向きに):一个劲儿的,一心的(热衷于一件事儿不管其他)
2.むしょうに(無性に):很,非常,特别
3.かたくなに(頑なに):顽固
4.いちずに(一途に):专心;一味(追求一件事儿而不顾其他)
问题01-06 工場の跡地が公園になった。
工場の跡地が公園になった。(1)/工厂的旧址变成了公园。
1.あとち(跡地):旧址
4.せきじ(席次):座次
其他选项为干扰项。
问题03-14 商品の原価が上がったが、販売価格への影響は当面ないだろう。
商品的原价虽然上涨了,但是目前对售价应该没有影响。
当面:目前,眼前,当前,面临
1.しばらくは:暂时,暂且
2.直接は(ちょくせつは):直接
3.まさか:难道,万(想不到,不会)……,怎能,怎会
4.大して(たいして):接否定,表示并不太……,并不怎么……
问题02-11 今年の花火大会は、30万人を超える( )が予想されている。
今年の花火大会は、30万人を超える(4)が予想されている。/预测今年的烟火大会,预计外出(观看)的人群会超过30万人。
1.人込み ひとごみ(人群,人山人海「大変な人込みだ」)
2.人波 ひとなみ(潮水般的人群,人潮)
3.人通り ひとどおり(人来人往,通行「人通りがなくなる」)
4.人出 ひとで(外出的人群)
问题02-07 会議の直前に部長の都合が悪くなり、( )私が代理で出席することになった。
部长突然有事情,由我来代理出席。
第一项:【瞬時に】しゅんじに:意思是:瞬间,转眼间,一般都是用于描述句。
第二项:【迅速にじんそくに】:【名】【形动】迅速,多指行动迅速
第三项:【即刻そっこく】:【副】即刻,立即。后面一般都是接意志动词,大多是表示说话人的请求或是命令的语气。
第四项:【急遽きゅうきょ】:是可以作为【副】词来使用的。意思是:赶紧,匆忙。大多用在陈述句当中。
根据题意,这里用【急遽】其实才是最恰当的。
问题05-33 子ども「お母さん、来週の日曜日、さくら山に行ってもいい?」
母親「だめよ。今の季節、あの山にはハチがたくさん出るのよ。万が一、( )大変でしょ。」
解析:孩子:“妈妈,下个星期天我可以去樱山么。”
母亲:“不行。现在这个季节,那座山上有很多蜜蜂。要是万一被蛰到了,那可不得了。”
1.只要被蛰到的话
2.要是被蛰到的话
3.就算让蛰到的话
4.就算只是让刺到的话
这里的考查点在于动词的ます形+「する」以及「でも」所表示的例举的用法。
问题10-62
理系の文章は明確な目的を持っている場合が多いので、その目的に応じて読者は文章を読む。このため、目的に合致した文章は満足感を読者に与える。たとえば、「東京都の交通渋滞に関する調査報告書」はそれを知りたい人が読み、その内容が過不足なく記述されていれば100点の評価となる。調査内容が不十分であれば評価は下がり、満足感は少なくなる。
しかし、もし著者と読者のあいだで、その文章を媒体として記述されていること以上の事柄が発見できれば、読者にとって最高の満足感となる。言い換えると、読者が新しい知識を発見する喜びを支援する、あるいはそのきっかけとなる文章こそが、100点以上の評価となる。それは著者と読者の①シナジー効果(二つのものから、それらの合計以上のものが生み出される効果)であり、それをもたらすには、著者は常に読者を意識し、読者とともに問題の解決にあたるという姿勢を持つことで文章に磨きがかかる。
いくら仕事や理系の文章だからといって「AはBだ、覚えておけ」という姿勢の文章では読者の満足感は少ない。むしろ、読者は自分の無知を知り、自己嫌悪に陥り、一方、著者への親近感はなくなり、読む気がしなくなる。文章の目的を達成するために大事なことは、読者が最後まで読んでくれることである。いくら素晴らしい内容が書かれていても、読者が読む気のしない文章は目的を果たすことができない。
学生のレポートで、②それが一番よくわかる。なにしろ提出数が多いので、すべてを完全に理解しようとして読むことは不可能である。結局、最初の数行を読んで、あるいは全体を見渡して、読む気が起こるかどうかが評価に大いに影響する。これは、上司に提出する企画書や、コンペ(注1)に応募する提案書などでもまったく同じである。
その意味で、人の読む気を誘う文章であるかどうかは重要である。では、読む気とは何か。それこそがシナジー効果である。
(中略)
読者が自力で新しいことを発見することの支援はなかなか難しい。むしろ、自分の思考過程を深く分析し、読者と一緒に考えようという姿勢を持つことが最も重要である。読者に与える完全な解答はなくても、解答に向かうひたむきな姿勢を示すことができれば良いのだということである。言い換えれば、ごまかしがなく、技巧を弄ばず(注2)、大げさにいえば著者の人生観を示すことで、真実に迫ろうという書き手の気持ちが読者に通じるのである。仕事の文章や理系の文章は、一般にはこういう行間の意味は不要と考えられているが、それでは無味乾燥(注3)の教科書文章となり、人の心に届かない。いくらの人の③脳に届いても、心に届かないものは読む気がしなくなり、結局、読者の脳にも届かなくなる。
(三木光範『理系発想の文章術』による)
(注1)コンペ:ここでは、仕事の依頼先を選ぶために企画を競争させるもの
(注2)弄ぶ:ここでは、必要でないのにむやみに使う
(注3)無味乾燥の:味わいがなくてつまらない
理系の文章の書き手はどのような姿勢を持つべきだと筆者は述べているか。
正解:2読者を意識しつつ、真摯に解答を求めてその気持ちを伝えようとする。
解析:问题是:作者认为对理科类文章的作者来说,应该做出什么样的姿态呢?通过文章可知,作者主张在写文章的时候要想到读者,要有那种和读者一起寻找答案,专心致志解答问题的姿态。同61题中提到的,作者认为理科的文章需要重视「読む気」「気持ち」「心」。符合文意的选项只有选项2。意识到读者并且真实地传达出寻求问题的解答的姿态。
翻译
理科类文章往往具有明确目的,读者会基于目的阅读文章。因此,符合目的的文章能让读者满意。例如,想知道东京市内交通状况的人,会阅读《东京都交通拥堵相关调查报告书》,如果书的内容详尽准确,就能得到满分评价。如果书中的调查不够充分,那么读者就会给出较低的评价,满意度也会下降。
不过,如果读者在与作者产生思想碰撞时,得到了超出文章字面内容的领悟,就能获得最大的满足。换句话说,只有一篇文章能给读者提供发现新知识的喜悦,或者能给读者提供一个发现新知识的契机时,才能获得100分以上的评价。这一效果就是读者与作者之间的“协同效应”(即两件事物组合产生的效果大于其部分之和)。为了产生协同效应,作者在精炼行文的时候,必须时刻留意读者的想法,形成与读者共同解决问题的态度。
就算是写工作方面或理科系的文章,如果作者用一种教条式的口吻写作,便很难使读者满意。那反而会让读者意识到自己的无知,使读者陷入自我厌恶。另一方面,那会导致读者难以亲近作者,失去阅读的动力。为了达到写作目的,最重要的是让读者读到最后。无论一篇文章写得多么精彩,如果不能让读者愿意读下去,就达不到目的。
这一点在学生报告中体现得最为明显。毕竟,提交的报告为数甚巨,以至于老师不可能读完所有报告,理解所有报告要表达的内容。最终,老师只能阅读开头的几行,或者略读全文,看看那份报告能否勾起读者的兴趣,并主要以此进行评分。交给上司的企划书和竞标书也是一个道理。
这么看来,关键在于一篇文章是否能激发读者阅读的兴趣。那么阅读的兴趣本身又是什么呢?其实它就是所谓的协同效应。
(中略)
帮助读者独立发现新事物相当困难。不如说,深入分析自己的思考过程、形成和读者共同思考的态度才最为重要。即使给予读者的答案不够完整,也无关紧要。只需表现出对解决问题的执着追求即可。换句话说,作者要做到不糊弄读者,不卖弄技巧,夸张点说就是要通过展示自己的人生观,来向读者传达自己对真实的追求。人们一般认为写工作类或理科类的文章,不需要在字里行间暗藏深意。但这会使文章变得索然无味,就像教科书一样,不能深入人心。即使一篇文章再怎么简单易懂,如果不能深入人心,就无法引起读者阅读的兴趣,最终也到不了读者的脑子里。
(摘自三木光範《运用理科思维的写作技巧》)
(注1)コンペ:竞争。这里指为了选定工作的承担方,竞争制定计划的行为。
(注2)弄ぶ:卖弄知识。这里指大量使用无用的知识。
(注3)無味乾燥の:味如嚼蜡的。
问题06-38 たばこの値段が ★ ことだ。
解析: たばこの値段が上がろうと下がろうと、たばこを吸わないわたしにとってはどうでもいいことだ。不管香烟的价格是上涨了还是下降了,对于不吸烟的我来说都无所谓。
要点:~(よ)うと~(よ)うと:不管是……还是……,……也好……也好。重复叙述正反两面的事情,表示“做什么都没关系”,或无论釆取什么行动都与其无关。どうでもいい:怎样都可以,无所谓
问题05-31 この祭りは長い伝統があるので、皆さんにはぜひこれからも( )。
解析:这项庆典活动历史悠久,所以希望大家今后也继续办下去。~に~てほしい: 希望……做……。表示要求或请求。
问题05-29 山田さんがこの絵をいくらで手に入れたのかはわからないが、有名画家の作品であることから考え ても、安くない値段で買ったことは( )間違いない。
解析:虽然我不知道山田是花了多少钱买下这幅画的,但这是名家之作,从这一点来考虑,是用不少钱买的这一点大概不会有错的。
1まず:大概,大致
2よく:经常
3かりに:假如;姑且
4なかなか:很,相当;(不)轻易
问题04-22 怠る
怠る(おこたる)(懈怠,怠慢)(4)
1.昨日、会社を怠って(サボって)映画を見に行ってしまった。
2.忙しいときは料理を怠って(怠けて)買ってきた弁当で済ますこともある。
3.彼はどんな苦労も怠らずに(厭わず)、いつも積極的に仕事に取り組んでいる。
4.要取得成功,就不能懈怠平日的努力。
问题03-14 山田先生に触発されて、画家の道を志しました。
山田先生に触発されて、画家の道を志しました。(2)/受山田老师的触动,立志踏上画家之路。触発(しょくはつ)されて:情感、欲念被诱发、触动。
1.指導を受けて:接受指导
2.刺激を受けて:受到刺激
3.援助を受けて:接受援助
4.評価を受けて:接受评价
问题01-05 新社長は、これまでの経営方針を踏襲すると述べた。
新社長は、これまでの経営方針を踏襲すると述べた。(2)/新社长表示要延续以往的经营方针。
1.とうしょう 凍傷(冻伤)
2.とうしゅう 踏襲(延续,继承)
3.としょう 渡渉(跋涉)
4.としゅう 干扰项,不存在
问题04-06
解析:对方表示饭菜的量小,应该表示同意或不同意。
翻译
男:这道菜,两个人吃的话不够啊。
1 嗯,感觉跟没吃一样啊。
2 一人份就足够了吧。
3 确实,吃不完啊。
原文
男:この料理、二人ぶんにしちゃ物足りないよね。
1.うん、食べた気がしないね。
2.ひとり分で十分だったよね。
3.本当、食べきれないよ。
问题09-51
(1)
以下は、市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。
正直なことをいうと、成人した人々の集まりであるNHK文化センターで、美術史の話をするのは、最初はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ少なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験があって、それなりの見識なり専門なりを持っている人々が、いまさら「役にも立たぬ」過去の芸術に、それほど深い興味を持つだろうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、それは、自分の好みに合った美術品を、楽しんで眺める、といった種類のものかと思っていた。ところが、それが大変な間違いだということがわかった。
ひたひたと押し寄せてくる、にせものでない、深い興味が近頃の大学生にこそ見つけることのできないものであった。はたちになるやならずの若者たちは、多くの場合、単位をとるためにそこにいるのであって、どこまで心から興味を抱いてそこにいるのか全く疑わしい。
(中略)
市民講座の熱心さは、かつて、喜びもなく学生時代を過ごしてしまった人々の、いわばノスタルジー(注)の場合なのであろうか。失われて初めて、その喜びを知ったというわけなのか、私はそう思うようになった。
ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数ヶ月講座を続けた今は、あることがわかったのである。つまり、芸術は、子供には「わからない」ということである。芸術とは、人生の経験であり、憧れであり、また失望と悲哀である。一片の絵にも、人生が詰まっている。人生を生きていないものに、絵がわかるわけがない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。
しかし、本当に深くわかるのは、すでに生きた人々である。
(みどり「レット・イット・ビー」による)
(注)ノスタルジー:過ぎた日々を懐かしがること
市民講座の熱心さとあるが、筆者は講座を受ける人たちが熱心なのはどうしてだと思っていたか。
正解:2 学生時代に知らなかった学ぶ喜びを初めて知ったから。
解析:第二段开头说“现在的大学生中找不到这种浓厚的兴趣了,基本都是为了得到学分才来听讲
座的。接下来说到了「市民講座の熱心さ」,作者认为「市民講座の熱心さ」是因为度过了毫
无乐趣的学生时代的人们的怀旧情绪所产生的。失去后才懂得了那种快乐。
所以选项2的“初次体会到了学生时代没有体会过的学习的乐趣”就是正确的答案。
翻译
(1)
以下是担任面向市民讲座讲师的大学教员的讲话。
老实说,在NHK文化中心这个由成年人组成的聚会上谈论艺术史,一开始我觉得相当不靠谱。因为大家或多或少都有过出社会或成家的经验,都有相当的见识或专业知识,所以我不觉得事到如今才讲“一无是处”的旧艺术,能够引起大家浓厚的兴趣。并且我此前一直认为,大家就算有兴趣,估计也只是欣赏一下符合自己口味的美术品之类的。然而,事实证明我的想法大错特错。
如潮水般高涨、不带一丝虚假的浓厚兴趣,在最近的大学生身上是找不到的。很多年轻人都是为了取得学分才留在当场,而他们到底有几分真心的兴趣,则令人十分怀疑。
(中略)
那些虚度了平淡的学生时代的人,他们在市民讲座上表现出的热情,难道正是人们口中常说的怀旧情怀吗?这让我开始觉得,也许人们就是要失去后,才会懂得学习的喜悦。
但是,我又发现这也是错误的。上了一年零几个月的讲座后,我明白了一件事。那就是,艺术是不被孩子理解的。艺术就是人生的经历、憧憬,以及失望与悲伤。一幅画里装满了人生。一个人还没经历人生,也就不可能懂画。当然,即使是年轻人,多少也能懂得一些。
但是,真正深刻了解艺术的,是已经活过的人们。
(选自绿色“Let it be”)
(注)ノスタルジー:怀念过去的日子
问题06-40 「反省」とは、あたかも他人 ★ 自らを客観的に観察して行う精神活動である。
答案:1。正确排序:2-4-1-3。
解析:「「反省」とは、あたかも他人を 眺める が ごとく自らを客観的に観察して行う精神行動である。」/所谓“反省,就是像审视他人一样地客观地观察自己的心理行为。
要点:ごとく,就像样。接为:动词辞书形/た形(+が)+ごとく;名+の+ごとく。
问题02-11 この辺りは、高速道路と鉄道が( )して走っている。
この辺りは、高速道路と鉄道が(4)して走っている。/这一带高速公路和铁路是并行的。
1.同調 どうちょう(同样的调子;同一步调,赞同)
2.並列 へいれつ(并列,并排)
3.同伴 どうはん(同伴,偕同)
4.並行 へいこう(并行;同时举行)
问题12-68
最近、思想を表現する方法について考えることが多くなった。たとえば、文章は思想を表現する方法の一つだけれど、その文章にもいろいろな表現形式がある。哲学の勉強を始めた頃の私は、さまざまな形式の中で論文という形式だけが、思想表現の方法にふさわしいと思っていた。
しかし、後に、この考え方を訂正しなければならなくなった。思想の表現として、論文が唯一の方法だということは絶対にない。私たちは、すぐれたエッセーや小説、詩を通して、しばしば思想を学びとる。とすれば、思想を表現する文章の形は、自在であって良いはずである。
ところが、そう考えてもまだ問題はある。というのは、思想の表現形式は、文章という形をとるとは限らないのだから。絵でも彫刻でも、音楽でも、つまり実にさまざまなものを用いて、思想を表現するのは可能なはずである。その中には、かたちにならないものもある。
たとえば私の村に暮らす人々の中に、自然に対する深い思想をもっていない人など一人もいない。村の面積の96パーセントを森や川がしめるこの村で、自然に対する思想を持たなかったら、人は暮らしていけない。ところが村人は、<自然について>などという論文を書くことも、文章を書くこともないのである。そればかりか、自分の自然哲学を、絵や音楽で表現しようとも考えない。
そんなふうにみていくと、村人は自然に対してだけではなく、農についての深い思想や、村とは何かという思想をももっているのに、それらを何らかの形で表現することも、またないのである。
とすると、村人たちは、どんな方法で自分たちの思想を表現しているのであろうか。私は、それは<作法>を通してではないかという気がする。
(中略)
考えて見れば、もともとは、作法は、思想と結びつきながら伝承されてきたものであった。たとえば、昔は、食事の作法を厳しくしつけられた。食べ物を残すことはもちろんのこと、さわぎながら食事をすることも、けっしてしてはいけなかった。それは、食事は生命をいただくものだ、という厳かな思想があったからである。茶碗の中の米だけをみても、人間はおそらく何万という生命をいただかなければならない。だから、そういう人間のあり方を考えながら、いま自分の身体のなかへと移ってくれる生命に感謝する。この思想が食の作法をつくりだした。
ところが、近代から現代の思想は、このような、日々の暮らしとともにあった思想を無視したのである。その結果、思想は文章という表現形式をもち、文章を書く思想家のものになった。そして、いつの間にか人間の上に君臨し、現実を支配する手段になっていった。
(内山節「里という思想」による)
この文章中で筆者が述べていることはどれか。
正解:1思想の表現は必ずしも文章や作品という形をとるとは限らず、かたちにならないものもある。
解析:从「というのは、思想の表現形式は、文章というかたちをとるとは~かたちにならないものもある」可知,思想的表现形式,不仅仅有文章,还有各种表现形式,后面还通过举“作法”的例子来具体说明了无形的表现形式。所以正确选项是选项1。
翻译
最近我越来越常思考表达思想的方法。例如文章是表达思想方法的一种,而文章内也有许多种表现形式。刚开始学习哲学时,我认为在诸多形式之中,只有论文这一形式适合用来表达思想。
但后来我不得不纠正这个想法。论文绝不是唯一的表达思想的方法。例如,我们经常通过优秀的随笔、小说、诗歌来学习思想,这样看来,表达思想的文章形式应该是自由的。
但是,这种想法依然有它的问题。之所以这么说,是因为表达思想不一定要采用文章的形式,无论是绘画、雕刻,还是音乐,总而言之,使用各种各样的东西来表现思想都是可能的。其中也有不成形的东西。
例如在我居住的村子里生活的人们,所有人对自然都有深刻的思想。森林和河流占了这个村庄96%的面积,如果没有对自然的思考,人就无法生活下去。但是村民们却没有写过《关于自然》之类的论文,也没有写过文章。不仅如此,他们也不会用画与音乐来表达自己的自然哲学。
这样看来,不仅是对自然,村民还对农业有过深刻的思考,也思考过村子的定义,但却没有用某种形式来表现它们。
那么村民们用什么方法来表达自己的思想呢?我觉得其实是通过“礼仪”表达的。
(中略)
仔细一想,“礼仪”原本就是与思想结合传承下来的。比如说以前用餐礼仪很严格,绝不允许剩饭,或是在吃饭时喧闹。那是因为当时的思想是很严肃的,认为“是食物给予了我们生命”。光看碗里的米,恐怕人类就已然享用了数以万计的生命。因此,在思考自身的生存方式的同时,人们也会感谢转移至自己体内的生命。而用餐礼仪正源自这一思想。
但是,近代以来,现代的思想却无视了这一类贴近日常生活的思想。最终导致思想必须依托于文章这一表达形式,被会写文章的思想家独占。并且在不知不觉中,它还统治了人类,成了一种支配现实的手段。
(摘自内山节《乡土思想是什么》)
问题10-59
わが身が生涯に望み、知りうることは、世界中を旅行しようと、何をしようと、小さい。あきれるくらい小さいのだが、この小ささに耐えていかなければ、学問はただの大風呂敷(注1)になる。言葉の風呂敷はいくらでも広げられるから、そうやっているうちに自分は世界的に考えている、そのなかに世界のすべてを包める。①そんな錯覚に捕らえられる。木でいい家を建てる大工とか、米や野菜を立派に育てる農夫とかは、そういうことにはならない。世界的に木を削ったり、世界標準の稲を育てたりはできないから、彼らはみな、自分の仕事において賢明である。我が身一つの能力でできることを知り抜いている。学問をすること、書物に学ぶことは、本当は②これと少しも変わりはない。なぜなら、そうしたことはみな、我が身一つが天地の間でしっかりと生きることだからだ。
人は世界的にものを考えることなどはできない。それは錯覚であり、空想であり、愚かな思い上がりである。ただし、天地に向かってわが身を開いていることならできる。わが身一つでものを考え、ものを作っているほどの人間なら、それがどういう意味合いのことかは、もちろん知っている。人は誰でも自分の気質を背負って生まれる。学問する人にとって、この気質は、農夫に与えられる土壌のようなものである。土壌は天地に開かれていなければ、ひからびて(注2)不毛になる。
与えたれたこの土を耕し、水を引き、苗を植える。苗がみずから育つのを、毎日助ける。苗とともに、自分の中で何かが育つのを感じながら、学問や思想もまた、人の気質に植えられた苗のように育つしかないのではないか。子供は、勉強して自分の気質という土を耕し、水を引き、もらった苗を、書物の言葉を植えるのである。それは、子供自身が何とか、やってみるほかはなく、そうやってこそ、子供は学ばれる書物とともに育つことができる。子供が勉強をするのは、自分の気質という土壌から、やがて実る精神の作物を育てるためである。「教養」とは、元来この作物を指して言うのであって、物識り(注3)たちの大風呂敷を指して言うのではない。
(前田英樹「独学の精神」による)
(注1)大風呂敷:実際より大きく見せたり言ったりすること
(注2)ひからびて:乾ききって
(注3)物識り:物事をよく知っている人
①そんな錯覚に捕らえられるとはどういう意味か。
正解:1自分は何でも知っていて世界を相手にできると思う。
解析:开头说到我们不管做什么事情,对于大自然来说,都是很微不足道的,如果我们不能接受个人的这种渺小,那么我们就只是在吹大牛。那样的话,我们会逐渐感觉到自己是站在世界的高度在考虑每一件事情,觉得包容了整个世界。而这完完全全是我们的一种错觉。59题应该选1,自己觉得什么都知道,能够应对整个世界。
翻译
哪怕去周游世界,哪怕用尽手段,我穷尽一生能触及到的知识,依然极为有限。不过,尽管能触及到的知识少得可怜,但一个人若无法接受这种局限,那他口中的学问,便只是虚有其表。语言可以无限地放大事实,而在这一过程中,人们渐渐会产生一种错觉:自己正站在世界的角度上思考,自己的思考中包揽了世间万物。而用木头建出好房子的木工,以及种植大米与蔬菜的农夫则绝不会这样想。正因为他们无法制作出世界级的木制品,也无法种出世界第一的水稻,所以才会精于自己的本职工作。他们已经洞悉了自身能力的极限。其实做学问、从书本中学习,和这些工作也别无二致。之所以这么说,是因为只要一个人投身在上面任意一个领域,就证明了他是脚踏实地地活在天地之间。
人不可能站在世界的角度上思考问题。但凡有了这种感觉,那必然是错觉、妄想和愚蠢的自负。但是,人可以向着天地敞开身心。如果一个人有过独自思考事物、制作东西的经验,他自然懂得敞开身心究竟意味着什么。每个人都有其与生俱来的气质。对于做学问的人来说,这种气质就像农夫耕种的土壤。而土壤如果没有向天地开放,就会干涸殆尽,变成一块不毛之地。
人要耕耘自身被赋予的这一土壤,引来水源,然后将幼苗栽种到土壤中,每天帮助幼苗自己成长。在幼苗成长的同时,人们也会感觉到内心中有些东西正在孕育。而我们不也只能把学问和思想,当作是一株栽种在自身气质里的幼苗去培养吗?孩子也会通过学习,耕耘“自身气质”这一土壤,并引来水源,而后将从外界得来的幼苗,即书本上的语言栽种下去。而这一过程,只能由孩子自己想办法完成,并且,只有这样孩子才能在书香中成长。孩子学习的目的,就是要有朝一日从自身气质这一土壤培育出精神上的果实。”教养“这个词原本指的就是这一精神上的果实,而不是某些万事通的高谈阔论。
(摘自前田英树的《自学的理念》)
(注1)大風呂敷:夸张的表现或言论。
(注2)ひからびて:干涸殆尽。
(注3)物識り:知识渊博的人,万事通。
问题09-55
(2)
住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然のことだ。買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのでは、大損害を被る。
だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1)である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとか、生活のしやすい環境にあって利便性(注2)に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考え方や行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。
特に、終の住処(注3)として考えるときには、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうえで、選択し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まってくる。
自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画を立てたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。その未来図に従って、住むべき場所の見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済状勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。
(山崎武也「シニアこそ都会に住もう―田舎暮らしは不安がいっぱい」による)
(注1)有用性:役に立つこと
(注2)利便性:便利さ
(注3)終の住処:人生を終えるまで住む家
住居選びについて、筆者が最も言いたいことは何か。
正解:2他人と考え方が異なったとしても、自分の生活スタイルを重視して将来の住居を決定したほうがよい。
解析:关于选购房屋,作者认为即便是和大众的想法不同,也要重视自己的生活方式。
翻译
(2)
在买房的时候,很多人会优先考虑资产价值的问题。对于普通人来说,一生只能买一次房,而且要花费大量金钱,所以优先考虑这一问题理所应当。但是,如果在买房之后遭遇变故,不得不变卖房产时,房产价值一旦有所下降,就会使买家蒙受极大的损失。
然而,对住宅而言,更重要的是其实用性。宜居性固然很重要,但其他因素也很重要,例如,房子结构是否适合个人的生活方式,周边环境是否方便日常生活等等。这些因素不一定与市场价格标准一致。因此,我们需要基于自己的思维方式和行为方式做出判断。
在考虑终身的居住地时,我们尤其需要明确自己的生活方式,必须以长远的目光做出决定。随着年龄的增长,我们的行动能力会自然而然地变弱,活动范围也会变窄。
我们应该发挥想象力,制定计划,对自己未来的生活做出高度可靠的预测。然后,要基于自身对未来的想象,确定自己应该住在哪里。无需多言,为了应对将来经济形势的重大变化,还有必要将支出控制在预算范围内。
(摘自山崎武也《越是年老越该住在城市——乡村生活充满了不安》)
(注1)有用性:能起作用。
(注2)利便性:便利性。
(注3)終の住処:要住一辈子的房子。
问题05-28 この鍋は、いため物に、揚げ物に( )、何にでも使えて便利です。
解析:这口锅很方便,可用来炒、炸,什么都行。
考查“と”的用法,这里是在形象化地列举锅的作用,“いため物に、揚げ物に”是列举的內容,用“と”表示。
问题05-27 都会から田舎に移り住んだ人の話を聞く( )、「田舎は人を癒す力を持っている」とつくづく感じる。
解析:每次听到从城市移居到农村的人说话,我就深切地感到,农村有治愈人心的力量。
1につけ 每次……,每当……就……。
2なり 一……就……;或是表示某人独有的方式,比如「自分なりの意見」,自己的意见。
3とは 就是……,常用于对某事物下定义口
4にしてみると 对……而言,从……角度来看。
问题03-18 この鍋は重宝している。
この鍋は重宝している。(4)/这口锅很实用。重宝している:方便,实用
1.以前より値上がりしている:涨价了
2.形が気に入っている:很中意其形状
3.評価が高まっている:评价提高了
4.便利で役に立っている:方便有用
问题05-02
解析:姐姐要找送给母亲的生日礼物。由于母亲最近开始打网球,所以想送个用于网球运动上礼物。店员推荐网球服装。尤其推荐受欢迎的黑色款。姐姐同意黑色款的衣服。弟弟认为粉红色才是母亲喜欢的。姐姐认为偶尔换换颜色也好。弟弟又建议,母亲还没有打网球穿的鞋。店员推荐了粉红色的和流行的黑色款。弟弟犹豫,认为相当贵。姐姐也犹豫,犹豫再三,仍然选择刚才的决定:网球服。显然两人都放弃了鞋子。弟弟同意,并补充说,颜色还是选母亲喜欢的。姐姐同意弟弟的观点。问题是决定给母亲的礼物是什么?所以正确答案是选项2。
翻译
体育商店里,店员和大学生姐姐、弟弟在说话。
店員:欢迎光临。您需要什么呢?
姉:我想买生日礼物。我妈妈最近开始打网球,我想给她买一些用得上的东西。
店員:网球服在这边。这件黑色的衣服是用新材料制作的,非常受欢迎。设计也很年轻,其他颜色也有。我想您母亲也一定会喜欢的。
姉:挺不错的啊。黑色这件。今年很流行黑色。
弟:但是妈妈喜欢粉色,而且经常穿粉色衣服吧。这件粉色的比较好吧。
姉:偶尔穿别的颜色也不错啊。
弟:啊......对了,妈妈没有打网球专用的鞋子吧。
店員:鞋子在这边。这些很实惠哦。也有粉色的鞋子。当然流行的黑色也有。这些鞋子是和刚刚那件衣服是同一个品牌,两个一起买的话,肯定很棒呢。
弟:嗯......姐姐,这个算了吧。
姉:确实呢。嗯,还是要刚才那个吧。
弟:是啊。颜色的话还是选妈妈喜欢的比较好吧。
姉:嗯。毕竟要是她不穿的话,我会很伤心的。
给母亲买了什么礼物呢?
1 黑色衣服
2 粉色衣服
3 黑色鞋子
4 粉色鞋子
原文
スポッツショップで店員と大学生の姉と弟が話しています。
店員:いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか。
姉:誕生日のプレゼントなんですけどね。母が最近テニスを始めて、何か使えるものをあげたいんです。
店員:テニスウェアはこちらにございます。こちらの黒いウェアは新素材を使っておりまして、大変人気がございます。デザインも若々しいですし、他の色もございます。お母様にもきっと気に入っていただけると思いますが。
姉:いいじゃない。この黒の。今年の流行は黒だし。
弟:でも、母さん、ピンクが好きで、よく着てるじゃない。このピンクのほうがいいよ。
姉:たまには違う色もいいじゃない。
弟:えー。そういえば、母さん、テニス用の靴、持ってなかったよなあ。
店員:では、こちらへ。こちらなんかはお手頃ですよ。ピンクのもございますよ。もちろん流行の黒も。先程のウェアと同じブランドの靴ですので、お揃いでお求めいただけますと素敵かと思います。
弟:ふーん、姉さん、これ、結構するよ。
姉:ほんとだ。うーん、やっぱりさっきのにしようか。
弟:そうだね。色は母さんの好きなのがいいじゃない。
姉:うん。着てもらえなかったら、悲しいしね。
母親への贈り物は何になりましたか。
1.黒い服
2.ピンクの服
3.黒い靴
4.ピンクの靴
问题04-10
解析:场景:部下对部长说,这次一定想要做到某事,那作为部长一般都会鼓励部下,表示期待等。
说明:部长,这个企划案,这次一定想要通过。——我非常期待(你的表现)哦。
翻译
部长,这个企划案,我这次一定要通过。
①非常期待你的表现哦。
②终于做完了啊。
③谢谢你的适当建议。
原文
部長、この企画、今度こそ通したいと思います。
1.期待していますよ。
2.ついにやり遂げましたね。
3.適切なアドバイスをありがとう。

问题13-70
高木さんが制作した以下の作品のうち、応募できるものはどれか。
1是不符合的,理由如下:在作品应征的要求中有一项是「作品の製作年は問わないが、未発表のものに限ります」(作品要未发表的),但是1是「入賞した秋の風景画」(已发表),所以说不行。
2是不符合的,理由如下:在作品应征的要求中有一项是「応募作品は各部門1人1点に限ります」(应征作品限定每个部门的应征一人只能投一个作品),「紅葉の油絵とイラスト」这两个作品都是绘画部门的,不能够往一个部门投两个作品,所以说不行。
3是不符合的,理由如下:在作品应征的要求中有一项是「清森市内の秋を題材にしたもの」,3是「春の木々の写真」,不符合秋天的主题,所以说不行。
正确答案是4,「去年清森市で行われた秋祭りの写真と水彩画」,符合清森市的秋天为主题,符合未发表,虽然是应征的2个作品,但是分别是“写真部门”和“绘画部门”的应征,满足每个部门一人投一个作品的要求,因此正确,此选项难点在于区分写真和水彩画分别是属于两个部分的应征内容。因此选择4。
问题05-31 (電車の中で)
A「いつもならこの時間帯は込んでるのに、今日は空 (す)いてるね。」
B「祝日だからね。」
A「あ、そうか。どうりで空いてる( )。」
解析:A:要在平时,这个时候都很拥挤,怎么今天那么空呢。
B:因为是节假日啊。
A:啊,原来是这样啊。怪不得那么空。
本题考点是「どうりで〜はずだ」的搭配。「〜はずだ」有一个用法是表示了解事情真相之后表示恍然大悟。“难怪……怪不得……”和「どうりで」产生 呼应。选择选项4。选项1,こともある。“也有……的情况”。选项2,に決まっている。"肯定……一定……。”选项3,に違いない。“肯定……一定……”
问题04-22 発足
発足(はっそく/ほっそく)(出发,出身;新成立的团体等开始活动)(3)
只有选项3合适,其他意思均不通。
问题03-19 さっき、上司にいやみを言われた。
先、上司にいやみを言われた。(4) /刚才,被上司挖苦了一顿。嫌味(いやみ):挖苦,刺激人的话
1.不満(ふまん):不满
2.冗談(じょうだん):开玩笑
3.愚痴(ぐち):牢骚,抱怨
4.皮肉(ひにく):讽刺,挖苦




